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義理と人情とやせ我慢の、火消し日記
鳶、消防、祭、釣り、バイク、ゴルフにグルメとなんでもござれな火消しの暴れん坊日記。 信条「花は桜木、人は武士」
矢柄神社練り込み
2009年10月12日 |
お組
12時の枠上げ前、揃い(そろい)ですが
お組は地元なんで昼食をとって他地区を
迎えます。
道ばたでみんなで食うめしゃーふんとにうめーらぁ
矢柄神社にヘロヘロ
でたどり着く者
残念な結果に終わる者(脱落者)
今年はみ組が奉納番なんで
み組、ひがし組、お組、は組、三浜組に順で枠上げです。
総台数16台で矢柄神社に行き
各組代表の祢裡(青年)が宮入します。
お組の青年も無事宮入しました。
お組の祢裡の歴史は
江戸末期の
や組
に始まり
金扇
は昭和9年に江戸末期の祢裡を中本町から受け継ぎ
120年以上経っても現在、中学生が曳いています。
出しは縁起良く末広がりの金扇と博徒の印サイコロを吊るしてあります
大森彦七
は昭和58年に新造され青年に受け継がれています。
伊弉冉尊
(いざなみのみこと)
伊弉諾尊
(いざなぎのみこと)は
平成10年に新造し中老が曳いています。
それ以外にも有志で曳く
西新町より受け継いだ
二見ヶ浦
と
西本町より受け継いだ
高砂
の計5台の祢裡があります。
ここで矢柄神社について一言
この神社の氏子は南大坂と浜野ですが
よく他地区の人が
「おらは氏子じゃないだになんで矢柄に行くだぁ?」って
もともと各部落にあった神社(16社)が明治6年に矢柄神社に並祀(へいし)
されその後村内に悪疫流行したため、各地へ分祀した記述があります。
そんなわけで年に一度各地区の祢裡が矢柄神社に集まり奉納します。
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この記事へのコメント :
しゅん
11日の午後居たんですね。
俺もいたんですが、会えませんでしたね。
そういえば11日の夜、テツさんと会いました。なんか母親と昔話で盛り上がってました(笑)
祭りが終わってしまうと疲労感と寂しさだけが残り、何もやる気が起きなくなります。
いきなり準備がなくなり、1つの目標が無くなってしまって本当にしんどいです。
2009年10月14日 22:09
火消し
お疲れッス!
11日は午後から仕事だッたんですが
手に付かず、矢柄に行ってしましました(^^;
2009年10月16日 14:26
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